海辺から半歩下がって綴る《ドラマ・映画の話》

海辺でのんびりするのも、本もドラマも映画も好き!つまらなくても、面白くても、見たままログ。

ドラマ「カネの切れ目が恋の始まり」を見終わって

しんみり…

このドラマのことは、単にストーリーを追うだけでは語れないものがあります。放送開始が2020年9月15日,最終回が10月6日。たった4話しかない連続ドラマでした。

放送日より2か月くらい前に主演の1人のM.H.氏が亡くなったので、重い、重過ぎる…と敬遠していたのですが、人にすすめられて見たところ、非常に明るくて、お金の使い方について考えさせられる良いドラマでした。

もう1人の主演松岡茉優さんが素晴らしく、本当にどうやって最終回の表情を作られたのだろうと、感心してしまいました。

そこに、M.H.氏はいないのに、お帰りなさい…という笑顔で迎える…そんな切ない最後でしたね。

このドラマを完結させたのは

あんな風に急に亡くなるなんて、悲し過ぎると思うけれども、スタッフ、スポンサー、事務所、テレビ局の判断で、最後まで放送しようとしたのは、すごいですよね。

その熱意を感じましたし、みんなにそうさせるくらいM.H.さんはいい俳優さんだったんではないでしょうか?

ストーリーから学ぶお金の使い方

社会人になっても親のクレジットカードで湯水のように無駄にお金を使ってしまう猿渡(M.H.)。オモチャ会社の営業部から経理に異動になり、一切の無駄を省いたような生活をしてる九鬼玲子(松岡茉優)に指導を受けます。

会社で玲子に一円の重みを教えてもらう一方、鎌倉で下宿を営む九鬼家に転がりこみ、一緒に暮らしながら、物を持たない暮らしを実践する姿を見ても学びます。

そして完璧ではない玲子の姿も知ることに。彼女は、タレントとして人気のある大学時代の先輩(ファイナンシャルプランナー?)の追っかけをしており、プレゼントに大金を注ぎ込んでいたのです。

「おいおい、貢いでるな〜」と呆れる猿渡。でも、全然人のこと言える立場ではない九鬼家の居候なんですけどね。親にクレジットカードを取り上げられて、ようやく猿渡も庶民の気持ちも分かるようになっていきます。

玲子には父親とのお金にまつわる悲しい思い出があり、母子家庭となって苦労してきたというトラウマも。ポジティヴで、人とのかかわりをおそれず、状況を打開していく猿渡に救われることもあり、正反対な2人は、ちょっとずつ不完全なお互いを補完しあうように成長していくのです。

結構、いい話でした。

 愛だろ、愛

 ということで、感想としては、お金を稼ぐ、お金を使う、お金を貢ぐ、お金を大切にする…それぞれのお金への付き合い方を見ていると、人は、溢れる気持ちをお金に込めて、受け渡しあっているってあらためて感じました。

お金はエネルギーで、まるで気持ちそのもの。つまり、お金って愛なんじゃないの?と思いました。

 

みんな愛が必要です

そういうわけで、結論。

世界の大富豪は、愛でもあるお金を独り占めせずに、世界に分け与えてるといいのでは。そうすることで、大富豪もすっきりするでしょうし、地上に愛が溢れて、みんなで幸せになれるんじゃないでしょうか?

 

今こそ、人口の1%に過ぎないという超大富豪のみなさん、お金という愛を社会に還元してください!

 

M.H.さんの不在によるショックを乗り越えて、そんな気持ちになるドラマでした。

Amazonプライム バチェロレッテジャパン完結

最終回10話までバチェロレッテを見終わりました。感想言わねば…ネタバレあります。

 

やはりフィクションの方が面白いのでは

 

これが感想です。

リアルに迫ると、オチがない!クライマックスがない!ってことが分かりました。

 

だから、この嘘のないノンフィクションの世界が見たい人以外は、つまらない結末にドン引きしたと思います。

 

なんでこんな結末になってしまったのか。責任はAmazonさんにあると思ってます。

萌子さんは素人さんなのですから。

番組は全力で萌子さんの判断を支持するか、徹底的に最後はやらせ演出でハッピーエンドしかないようにするか、を問われてたのでは。

ガス抜き的に、最終ローズを誰にも渡さなかった後に出演者が総出で「そりゃないだろう」と萌子さんを責めるアフターエピソードまでをスタジオ収録していました。

全責任を萌子さんに押し付けているような感じです。

 

誰もバチェロレッテをやらないとしたら、番組は出来ないし、やってくれる人に結構な負担をかけてるので、名乗りをあげた萌子さんの判断を受け入れるというのは、仕方ないのかもしれませんが、それを番組内で彼女を責めるという形で終わらせるとは・・・。

 

多分、最後に1人残すのが約束にあったとは思う。でも、こうなりやすいとは、Amazonさんも薄々分かってやってるはず。(番組内でいい人が見つからないから、誰も選ばないというリアル)

だって、バチェロレッテが渡そうとするローズを男性が断る権利はある。

ならば選ばない権利も萌子さんにあるのが当然だと思う。

もし、それはないというのなら、はっきりさせとかないといけないよね。萌子さんに拝み倒して、形だけでもどちらかにローズを渡していただくしかないよね。

 

欺瞞はハナからある

 参加者は誰がバチェロレッテになるのか知らずに応募してくるから、そうそう簡単に結婚まではいかないだろうと、Amazonも思っているはず。

だから、萌子さんも真実の愛を誓うとか、将来必ず結婚するとか思わないで、もう一度会うなら、どっち?というくらいの気持ちでファイナルローズを渡すべきなんだけどね。

でも「真実の愛を見つける」と繰り返し番組内で言っている手前、萌子さんのストーリーを脚色する気持ちがAmazonには無くて、「だって萌子さんが選ばないんだもん」と放り投げてしまった。

 

金返せよ〜ですね、映画なら。

フィクションでいいから、とにかくローズが渡される物語が見たかったな。

でも、Amazonさんや視聴者は、オチがなくても、選ばない結末の方がリアルだから好きなのかな。

そこは求めているものが違うんだなぁ、私とは。

 

学んだこと

・恋愛映画はウソがあるから面白い

真実の愛番組ではハナから見つけられないものである

じゃ、なんでこの番組が成立するのか?というと、この番組に出て、何らかのタレント性を発揮したら、芸能界に仕事が見つかる可能性があるからなのでは?

私は第一印象が良かった、北原さんにするのが幸せだったのだろうと、勝手に思ってます。最初にローズをもらった藤井聡太似の料理男子。相性が良いと思うんですけどね。

 

最後に

 

選ばれなかった、皆さん、お疲れ様でした!幸多かれ。

萌子さん、お疲れ様〜。ダイヤモンドのような方でしたねー。意外とバチェロレッテという立場は大変でしたね。美しき萌子さんが、最後のお願いも拒否して誰も選びたくないという姿勢を貫いたのは、本当に、誠実な対応なのだとは思いましたよ。でもタレントさんとしてはお仕事増えないかもね!でもいいよね、そのままで充分幸せだと思います!

バチェロレッテって何

ローズ


Amazonプライムのバチェロレッテ・ジャパンを見た

 テレビで「男女逆転」と宣伝してますが、元は1人の独身男性が30人くらいの女性から、未来の結婚相手を選ぶというバチェラーシリーズがあるんだって。その逆という意味。このバチェロレッテでは、萌子さんという資産家の美しい独身女性が、17人の独身男性の中から最も結婚相手にふさわしいと思う1人を選びます。皆、約2か月間仕事などを休んで参加して来ています。

昔でいうなら、プロポーズ大作戦の長時間版。こっちの方が普通で、逆転はバチェラーの方じゃない?と思うけど。さて、どんな展開に…

 テイストがアメリカンな出演者たち

アメリカがオリジンなので、萌子さんはカクテルドレスが似合うし、男性陣もタキシードが似合う人々が、選抜されています。

西洋の血を継ぐ人やアメリカで暮らした経験のある人が多い気がします。

我ら視聴者は、番組の用意した特別な宿泊地に隔離されているハイスペックな結婚適齢期の男女のお見合い風景を見るという趣向です。

誰が残るのか、筋書きのない展開を楽しむ

まず、驚いたのは、初回で結構脱落するってこと。

釣り書きみたいなものは、事前に見ているんだろうけど、ほぼ第一印象でふるいにかけられるのです。その後も回を追うごとに、減っていきます。

うーむ。確かに、これはちょっと次も見たくなる仕組みです。

萌子さんは、誰を残すのか?という興味が起こるのです。人が、ある人を別の人より気に入るのはどこがポイントなのか?というのが、一種見どころです。

それが、全般ヤラセなのかもしれないけど。意外と面白い、というのが素直な感想。

今6話まで来て、3人が残った

全然予想していなかった人が残ってたり、最初に印象良かった人が落とされたりしてる。萌子さんの決め手が、分からない。だから続きが見たくなる。不思議よね。

1日だけの印象で選んだら残れた人も、2か月かけて、沖縄や台湾などあちこち旅しながら、デートを重ねたら、なんか思ったのと違う!と落とされてしまう。

次は、男性陣の実家訪問なんだって。そこまでして選ばれないのも辛いよね。さらにその後は萌子さんのご両親にも会うそうです。結構真剣なお見合い番組ですよね。

アーティストのしぶとさ

裕福な生い立ちの美人って、気を引くのは難しそうですよね。

優しくて性格も見た目もいい男性でも、「今きて欲しくなかった〜」と気分によっては、落とされるし、うわべだけの部分でほめても気分を害すし…。

そんな地雷を本能で避けて、どんどん評価を上げている参加男性がいます。画家の人です。

やはりアーティストは右脳的。直観的に判断できるんじゃないでしょうか。我を通すときと、引くときのタイミングが、正しいんでしょう。

そして会うとき、会うとき、別の面を萌子さんに見せている。うーむ。すごい。

それに、スポーツが得意でモデルさんでもある萌子さんに、本気で心酔している。そのため、落とされないのかも。

誰が残っても後悔なく

参加者の皆さん、ここまで顔も出していて、このあとの人生もあるのだから、ぜひ無理をせず、過剰な演出に走らず、視聴者にバッシングされることなく、無事に終了して欲しいです。

萌子さんもです。多分、あの時落とした人の方が良かったとか、あるんじゃないかと思うけれど、それくらいいいですよ。

番組内で完璧な男性を選べなくても、そのあとの人生で見つけてもいいんだし。

美しいフィクションでいいんだし。

ローズを受けとってもらえないで終わるとかでも、仕方ないよね。

主役はわがままでもいい、気持ちのままに選べばいいよ!とエールを送らせていただきます。

多分3人残ってる6話の今が、準決勝みたいな感じで、一番面白いんじゃないでしょうか。一人に決まってしまうと、結構「そうなんだ~」とあっさり興味を失うかも。でも、最後まで見るつもりですよ。頑張って完走してくださいね、萌子さん。

Amazon プライムのコメディドラマ「誰かが、見ている」感想

誰かが、見ている

三谷幸喜×香取慎吾の世界向けコメディ

Amazon プライムで配信中の「誰かが、見ている」を見ました。

監督・脚本は三谷幸喜、主演は香取慎吾。ちょっとヌケている舎人真一を可愛く演じています。隣人の粕谷次郎(佐藤二朗)は、すでに空いていた部屋の壁の穴から、真一の様子を見て、あまりにも面白いので、いけないと思いつつ、覗くをのやめられないでいます。

それを娘(山本千尋)に見つかって、いよいよ穴をふさがないといけない…と思っていたら、娘は真一の様子のあまりの面白さに「これはみんなと共有しないともったいないよ!」と止めるどころか、ネット配信をし始めてしまう…。

無垢なダメ人間の面白さは、隣人によって発見される

とにかく、香取慎吾は天然の不器用さで、いつも困っている舎人真一の愛らしいキャラをうまーく演じてましたね。嫌味がなく危なげなく、笑えました。

彼だけだったら、寂しいけど、ちゃんと彼女もいるんです。

しらない役者さんだったけど、彼女のソト子さん(宮澤エマ)はアメリカンな風貌で、全体にアメリカンなセットなのでぴったりでしたね。きっちりとした性格で、ダメダメな真一を支えてくれる人。

隣の部屋との穴から見ている粕谷父娘も、爆笑しつつも、二人がうまくいくようにと願っているんです。でも勝手にネットに配信したらだめじゃん!なんですけどね。

仕事を転々としている舎人真一の映像は…

家にいるときの真一の映像は、隣人の粕谷父娘が配信しているというのは分かるのですが、外で仕事をしている真一の面白動画を、世界中の人が見て、楽しんでいるというシーンが入ります。

たとえば山で遭難しかかった人が、その映像をみて寝ないですんだとか、いじめられている子が笑顔になったとか、それが世界のいろいろな場所で行われているのです。真一のヘマが、多くの人を笑いで救っている…というシーンなのですが、それを撮影して配信したのは誰なの?

その疑問が、ちょっと、私には解けないので、ひっかかりますね。

香取慎吾を世界的なコメディアンに

このドラマの野望は、香取慎吾を世界的なコメディアンにすることなのでしょうか。ありえると思いますけどね。

英語で翻訳されたらいいのでは。

多分、佐藤二朗も世界でわかりやすくコメディアンに見えると思うし。

夏木マリがいいですね

舎人真一の母は、夏木マリが演じてます。それがめっちゃ笑える。佐藤二朗との掛け合いとか。怪しさ満載。

久しぶりに息子を訪ねて来た母は、粕谷氏から、息子が勝手に盗撮されて、動画配信されていると聞いても、怒るどころか、収入を分け合うことで、納得し、訴訟せずに和解。地方でガソリンスタンドを経営しているという母。たくましいです。

でもちょっと不気味

なんだろう・・・でもちょっと不気味なんですよね。「誰かが、見ている」というタイトルも、やたらに描かれる目のマークも。

「舎人真一の天然劇場」とか、そんな陽気なタイトルじゃダメなの?

「何をやっても僕はダメだ」と落ち込んでいる真一くんが、「常に誰かに見られている」っていう言い方、ちょっと怖い。「トゥルーマンショー」っていう映画みたいなことだけども、あれでも、主人公は傷ついていたよね。

やっぱり、自ら発信するのはいいと思うけれども、勝手に撮ってそれをネットにあげるというのはブラックすぎないですかね。

普通に、その場にいる人に笑いをふりまく真一が、ソト子さんに「そのままのあなたを世界に知ってもらいたいの!」と言われ、自らYouTuberになって自立する・・・というハッピーエンドになるのが、よいと思うんですよね。

そういうシンプルな世界観じゃダメなのかなあ・・・?

 

 

ドラマ:「半沢直樹」シーズン2<TBS日曜劇場>を見終わって

ドラマ:「半沢直樹」とは

ご存知のように2020年7月から9月にTBS日曜劇場枠で放送された、超人気ドラマです。

主演は、堺雅人

前作から7年ぶりの登板でしたが、ますます絶好調の46歳。半沢直樹になりきって、熱い演技を、濃い共演者に負けずに披露し、高視聴率(最終回32.7%)をたたき出しました。

出演者たちからも、NGを出さず、いつも自然体で、完ぺきだったと言われてましたね。よかったですね~。満足しました。

なぜこのドラマウケたの?

こんな銀行員いないってことは、みんな一応分かっているんです。だからこそ、激しいセリフの応酬に、「もっと言ったれ!」となるし、その言い方、やりすぎなのでは?というくらいが実にはまった。(とくに東京中央銀行の大和田常務・伊佐山専務・金融庁黒崎を演じた歌舞伎界の方々)どうせ、日々の会社員生活で自分は言わないからこそ、半沢が上司や政治家に啖呵切るなら、ガンガン切れ!と思うし、とことん戦えよ!と応援したくなるんですよね。

 面白かったなあと思うポイント

・物語が勧善懲悪で敵がつど大きくなっていく

序盤では証券会社に出向していた半沢、ある会社(社長は尾上松也。ここも歌舞伎界)の買収に関して東京中央銀行本社の営業部に妨害されていたが、成功させ、証券の社員たちにやる気を与え、銀行に戻ってきた。

戻ってからの任務では、国土交通大臣に盾ついて帝国航空の債権放棄を拒否。メインバンクでもないのにと言われつつも、放棄拒否を貫いた。さらに、大臣も恐れる大物政治家の圧力にも屈さず、悪事を暴き、頭取に一歩近づく・・・という、不利な状況にあっても、敵が大物であっても、庶民の立場で踏ん張って勝っていく物語なのだ。

 

・セリフがキャッチ―

半沢と言えばこのセリフ「やれたら、やり返す倍返しだ」に始まって、さまざまな決めゼリフがあるのが特色。

 

今回もさまざまなメモリアルなセリフがありました。

第2話「君はもうおしまいです。お、し、ま、い、death!」と振りつきで半沢に挑発してきたのは、因縁の相手、大和田常務(香川照之)。飛ばしてます。

さらに伊佐山部長(市川猿之助)も歌舞伎の悪役の乗りで「詫びろー、詫びろ、詫びろ、詫びろ、ハンザワー!!」と叫ぶし・・・。これは豊田議員の「このハゲー!」的なパワハラ感を感じましたね。

しかし半沢この伊佐山に冷たく言い放つ。「ゴミ扱いしているのではありません。ゴミだと申し上げているのです」。

そういいながら、目を細める堺雅人~。いいですよね~。これが半沢クオリティ。

第5話「まるで赤ん坊ですね、あなたおいくつですか」「あなたからは腐った肉の臭いがする!」というキツイ言葉を半沢に投げつけられたのは、だれだったっけ。帝国航空の財務の人だったか・・・。さすがに日常の社会人生活でそれは言わないよねと思いつつも、冷徹に言い切る半沢に震撼。記憶に残るパワーワードだった。

第7話「さあ、さあ…、さあさあさあっ!」。

これ、字だけではリズムが伝わりにくいですが、審査部ソネザキを問い詰める半沢と大和田常務の掛け合い。ほとんど歌舞伎。いやー笑った。面白い。

息がぴったりですね。昨日の敵は今日の友という感じ?

その前に、大和田に「人にものを頼むときの大切な7文字を忘れている!」と言われ、一応「おーねーがーいーしーまーすー」と半沢が頭を下げたっていうのもありますが・・・。まあ、同等の戦いをするよき理解者となっている様子が面白い。

 第9話「やられたらやり返す、倍……いや、3人まとめて1000倍返しだ!」。

これはド迫力の政界のドン箕部(榎本明)、半沢の勤める東京中央銀行の頭取(北大路欣也)、反目しあいながらももはやツーカーの仲の大和田常務の3人に向けて、半沢が放った言葉。

 第10話「この国で懸命に生きるすべての人に、心の底から詫びてください!!

庶民を代表する半沢を「小童ごときが・・・」と踏みつけにしている腐敗している政治家の代表のような箕部に対する、半沢の叫び。揺るがぬ証拠を突き付けて、箕部に土下座させたときの一言。

これを言える状況って、すごいですよね。

・濃いキャラたち

黒崎金融庁検査官。なぜかおネエキャラ。下の名前は呼ばれることはないが俊一。演じるのは片岡愛之助。優秀な検査官なのだが、半沢には一歩出し抜かれることが多い。シリーズ2では、第6話で半沢と再会したシーンが強烈な印象を残す。

調査のために本社に来た黒崎は、出迎える行員たちの中に半沢を見つけ「あなた、いたの?おかげでファイトまんまんよ!」と喜び、なにかと「なおき~」を連呼。いたく半沢がお気に入りの様子に、驚いた人も多かろう。ひかれてもおかしくないが、ここまでやる気ならいいんじゃないかという異例の支持を視聴者から獲得。

第8話で国税局に異動になるも、第9話「これから鬼の征伐に、助太刀するわよ、黒崎が♪」と歌いながら登場。半沢と共に大物政治家、箕部を追及する、実は正義の男。

愛之助さん、ここまでやっていいんですね官僚も。

 

伊佐山部長。演じるは市川猿之助。えーと、この人も濃いんですけれども、意外に出番は少なかったので、視聴者としてはその歌舞伎っぽいせりふ回しは、部長の役にひつようなのかどうか…という疑念が残っている。消化不良。

 

大和田常務。数々の名シーンを半沢と共に作った人物。半沢にとっては憎しみの対象のはずが、銀行を救うためになら手を結ぶこともあるという、因縁の相手。演じるのは、香川照之。この人の不機嫌顔は、まさに日本の親父って感じがする。

極端なへりくだり、の後の手のひら返しの高圧的態度など、相手と状況に応じて臨機応変に態度を変えることができるザッツサラリーマン。高給取りが板についた香川の演技で、ドラマにリアルさが出た。異常な圧のある顔芸も皆が待ち望むようになってしまったという、怪演的な名演技だった。

 

渡真利忍。半沢の同期で本社融資部所属。演じるのは及川光博。ミッチー。

困った時は、渡真利の携帯に電話すれば、いい情報が得られる・・・。そんな頼りになる情報通。裏設定によればシーズン1より出世して、結婚もしている。ミッチーなりには、きっと有力者の娘との結婚なのだろうと推察しているそうです。

だから、あんなに融通きかせて、あちこちで情報集めて、ひょうひょうとしてられるんですね。

 

紀本常務。ニューヨーク帰りのエリート行員。本社の不良債権回収担当常務。箕部に弱みを握られ、帝国航空の債権放棄拒否に激しく反対。その弱腰対応すぎるところを、半沢に怪しまれ、たくらみが暴かれてしまう。演じるのは、段田安則。任せて安心なベテラン俳優さんなので、濃いというのとは違うのかもしれませんけども、段田さんがいなかったら、画面がだいぶ薄くなったでしょうね。リアリティの密度があがりますよね。

 

富岡部長代理、通称富さん。もと半沢の上司で検査部にいる「東京中央銀行の生き字引」。検査部というところは、閑職らしいですが、半沢の尊敬する人物であり、中野渡頭取からも信頼されている様子。紀本常務の隠していた証拠を見つけ出すにあたって活躍。

演じたのは、浅野和之。この人の演技も濃いわけではないですが、数々の舞台で主役級を演じている役者さんですし、重要な役どころなのだろうと思ってみていたところ、やはり…という感じ。ドラマの格があがるって感じですよね。

 

忘れてはいけない、言わずと知れた中野渡頭取。半沢も大和田も押しているトップ。演じているのは北大路欣也その顔、その圧、その声・・・これ以上ないほどの納得の濃い存在感で、視聴者的には大満足。実際の銀行家の顔ってこういうタイプではないのだろうと思う反面、ドラマの上では、大正解でしょう。

 

 ・女性陣もがっちり固めている

まず、女将、智美。お疲れモードの男性銀行員が集って、愚痴をいったり、いたわってもらったりする小料理屋の和服の似合う女将。噂話を理解する力があるようなのだが、それは実はもと東京中央銀行の社員だったから。紀本常務(段田安則)となにか因縁ありそうな・・・。こういう店の美人女将に癒されたい!という夢を具現化したのは、井川遥だった。

それでもって半沢の奥さんのハナは上戸彩明るくてポジティブな奥さんでいいのですが、半沢さんてば、可愛い系を妻にして行きつけの店の美人女将とも・・・?っていうようなのは、全然ありません。色気のある話は「初芝電機」の島くんに任せておく・・・という感じ。半沢は仕事で忙しいみたいです。いつも本職は刑事なのでは?と思うくらい、捜査活動してる。現場100回ってわけでもないけど、あちこち動いてるから、ホントそういう時間はなさそうでした。二人の間の子供の話題は全然なかった気がしますし、ハナさんは、厳しい母の面を持たずに、常に可愛いい印象・・・。花屋で仕事をしていて、仕事人間の夫にあまりかまわれなくても気にしません。

 

敵対する大臣は江口のり子。薄幸そうな和風の顔立ち。いつもとちがうキャラに挑戦。役職がひとを作るっていうのと同じ。役者も、大臣をキャスティングされると風格が出る。よかったですよ。

コロナ禍をのりこえて行け!サラリーマンたち

ちょっと暑苦しいほどのハードワークの半沢ですが、やっぱり密で仕事をする日々が懐かしい…そんな世の中のサラリーマンの気持ちがこのドラマのヒットを支えたのかもしれません。1日も早く、コロナが明けて、サラリーマンたちが正々堂々居酒屋、飲み屋で、密に語りあう光景が戻ってくるといいなあと思います。

 

 

ドラマ「親バカ青春白書」を見終わって

「親バカ青春白書」とは

2020年8月〜9月に日テレ系で放送されたドラマです。あらすじをサクッというと、箱入り娘を監視するために、作家である父親が同じ大学に同級生として入学してくるという話です。

 娘は、永野芽衣、父親はムロツヨシ。同級生は、福士壮太、今田美桜ら。すでになくなった母役に新垣由依。監督は、福田雄一です。

 どんな笑いを目指している?

あくまでフィクションな設定なので、真剣に考えないで気楽に見るのがいいのでしょうが、やはり娘の精神衛生上よくないと思うな。こういう父親の束縛…。

コントとしては、面白い設定なので、この不自然な設定を笑いに消化して欲しいという期待があったのですが、意外と笑いどころがない。

ほのぼのホームドラマ系なのかな。

 誰がターゲットなのか

 これを喜んで見られるのは父親世代なのでしょうか。

娘のピンチを救うため、コンパやサークル活動にもついて行き、恋路を邪魔して、娘の友達の女子大生に惚れられる(そういうストーリーです)という父親になってみたいということなんでしょうか。

大学に世代の違う人が入ってくるのは、いいと思うんですよ。父親でなく、変わったおじさんが仲間になって、世代が違う経験値を生かしてピンチを助けてくれるという話でいいと思いますけどね。

昔、りぼんに、岡田あーみんの「お父さんは心配性」っていうギャグマンガがあったけど、娘は鬱陶しく思ってて、なんとか振り払おうとする。でも父親が無茶なデートの妨害工作をしてくる。その様子がキレのいいギャグになっていたんです。

けど、ムロツヨシの演じたガタローは作家という設定なせいなのか、意外と学生に溶け込むのが早いし、娘も抵抗してない。

そんな風なので、コメディとして成立しにくいですよね。

で面白かったのか?

 笑いはなかったですね。

コメディ的にすべて丸く収まったストーリーだったけれども。なんか、そんな風にうまくいく?と疑問が…。

その責任はムロツヨシのちょっとモテたい風なルックスとか、演技とかにあるんでしょう。女子大生は、ムロツヨシが好きなんですか?そうなの?知らなかった…。

もっと、コメディアンぶりを発揮するんだと思ってたので、肩透かしくらったみたいな気分で終わってしまった。

ただ、こういうドラマにある普通のキャンパス風景が今コロナの影響で失われてしまっているので、面白いかどうかよりも何よりも、こんな平和な大学生活がうらやましいよね。

一日も早くキャンパスにも日常が戻って来て欲しいですね。

ドラマ「私の家政夫ナギサさん」を見終わって

キッチン

ドラマ「私の家政夫ナギサさん」って不思議な話

2020年7月期、観るつもりもなく最後まで見続けたドラマです。何と言っても、「鹿男あをによし」(2008)のときから好きな多部未華子が主演というところに惹かれ、見始めたら、まさかね⁈ という展開が続き、結局特別編まで見てしまいました。腑に落ちづらいからつい続きを見るという不思議な話でしたね。

あらすじ(ネタバレです)

製薬会社の優秀な28歳の社員メイ(多部未華子)ですが、家事は苦手で家のなかはゴチャゴチャ。それを見かねた妹(趣里)が家事代行サービス会社で働いていて、そこのトップ家政夫をメイのためにスポット契約して派遣してくれた。それが50代のおじさんナギサさん(大森南朋)だった。

「ええ、こんな人に洗濯とかやってもらうのは、ちょっとなあ」と思うメイだったけれども、短時間できれいに片づけて、美味しい夕食も作ってくれ、探していたイヤリングなども見つけておいてくれる、真面目で出すぎたところのないナギサを「お母さんみたい!」と信頼するようになり、レギュラー契約に至る。

婚活などにも手は出すものの、MR(薬を病院に出向いて医師に営業する仕事)でチームリーダーにもなっているメイは、激務過ぎてなかなかそっちはうまく進まない。ライバル会社のイケメン独身MR田所(瀬戸康史)とはマンションの部屋が隣同士ということも分かり、なにかと話すようになり、年頃も雰囲気もお似合いの二人はだんだんひかれあうようになる……のかと思いきや……。

メイの家族の問題解決にも一役買ったナギサへの好感度はどんどんあがり、田所も部屋の中はゴチャゴチャタイプだということも分かってきて、似たもの同士の田所よりも、「癒してくれる」ナギサに心ひかれていくメイ。

実は昔MRでもあったという過去を持つナギサが会社員時代に部下を救えなかった…と悔やんでいるのを知って、誤解を解くことに一肌脱ぐメイ。ナギサもメイへの信頼を持つようになる。そして、ナギサに転勤命令がきて、もうメイの家には来られない事態に。ナギサを手放したくないと思ったメイは勢いで「結婚しませんか」ともちかける……。

あれれ、これって「逃げ恥」路線の進化系の展開?

あれなんか急に、恋ダンスで有名なドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」(2016)のような、展開に?と戸惑いました。

つまり、年下の可愛い女性から、年上の一見縁遠そうな男性へのプロポーズ!という形に、デジャブ感があったわけです。(「逃げ恥」では本当の結婚ではなく表向きはそういうことにして、無職の女子が家事を給与制で引き受けた形の契約結婚でしたが)今回のメイは結構稼ぎもいいですし、多部未華子のルックスですから、そんないい条件の女子からの50過ぎのおじさんへのプロポーズっていう、もっとなんていうか「ありえない感」がある展開。「逃げ恥」と同じ<TBS/22:00枠>だからって、そういう路線でさらに設定を進化させるためだけに、つくった筋書では??と思いましたよ。

でも、もともと原作漫画はあるようなので、ドラマのための脚本ではなかったんですけどね……。(きっと漫画の表現ではもっと印象が違うハズで、魅力ある作品だと予想しますが)

初回に流れるあいみょんのイメージソングに困惑

オリジナル脚本かどうかは、さておき、このドラマを見ているだけの視聴者にも、この「メイとナギサ」が「恋をする」という展開に違和感をもたれないように、描かないといけないんですけど、第1回目から耳に入ってくる「この~恋が~」というあいみょんの主題歌の歌詞の内容がなんか早すぎましたよね。

全然画面は「ホームコメディ」系なんですよ。ナギサとメイの間には恋愛感情が芽生える予感が全くないのに、「この~恋が~」という歌声がかぶさってくる。この違和感はすごすぎた。もちろんこの主題歌「裸の心」(byあいみょん)は素晴らしいんですよ!よい曲なので、耳に残るのです。(問題はこのタイミングでかけるのか?という、演出の方の責任)

そのとき、もしかしてもしかするとこれって、この二人のラブストーリーなの?という予感はしたけれども、「まさかね!」と思ったものでした。それが本当にそういう展開に強引になっていったので、「ごめん、逃げ恥の方はちゃんとラブストーリーだったよ、比べてすみません!!」とガッキーと星野源に心の中で謝りました。

視聴者に、ラブストーリーのドキドキ感を与えないまま、ナギサさんとメイの結婚話が進んじゃった感がありますね。

これは恋の話ではない、幸せな結婚とは?という話

だけども、特別版までみて分かったけれども、決して不幸せな感じはしないんですよね。むしろすごくメイとナギサの新婚生活は幸せそう。

つまり、主題歌は「この~恋が~」とうたっているけど、ドラマとしては「恋愛」ではなく「結婚」、それも家族や上司が相手を見立ててくれる「お見合い結婚」現代版を描いていたのではないでしょうか。

若いうちは親がすすめる相手などには見向きもせず、自分で出会った相手と恋愛を経て結婚するということにこだわるものだけれども、メイは違う。

妹や母や女性上司が「いい」と思っているナギサをちゃんと選べる賢い女性なのだった。

年齢的にもバランスのとれ、社会的地位のある医師やイケメン同業会社員などからも好意をもたれ、結婚を前提につきあうことを望まれているにもかかわらず、母性に目覚めた家政夫を選ぶ。それってものすごい老成した判断ですよね。「お見合い感」がある……。

多分、特殊な組み合わせだとは思うけど、人からは「?」と思われても、メイにはこの選択がよかったってことなんでしょう。

結婚というのは、人がうらやむような相手とするのが幸せだということではなくて、婚活パーティーとかで探すのでもなくて、自分をよく知っている家族が見つけた相手とのお見合いみたいなものもいいよ!という教訓も得られるのではないでしょうか。

見どころポイント

①キャスト

多部未華子が可愛いよね。セリフの発音の仕方がいいよね。「さ」の音の発音が可愛い。メイの特殊な性格をよく演じていたよね。(家事の苦手な母の血を受け継いでいる優等生的でポジティブな性格?)

メイがバリバリのキャリア志向として登場していたら、夫に家事を押し付けて、家政婦としての価値しか見出していない嫌なヤツになってしまう可能性が高いわけだけど、ちゃんと可愛げを持っているから、みんなから嫌われないでよかった。

大森南朋も役づくり大変だったと思うけど、いつもと別人でした。牙を抜かれたライオンのような……。母親のような包容力がある超真面目な人間になりきってました。年上なのに説教っぽさもあまりなく、こまごまとしていて、いくつものタスクを同時に丁寧にこなさなければならない家事を好んでやれる……そういう日の当たらない雑事を永続的に続けられる男性が実在する可能性は低いと思うけども、ナギサはその少ない一人なんだろうな、と思わせてくれました。

 

②結婚するときの基準について考えさせられる

よくも悪くも、意外な組み合わせのメイとナギサ。

これからはオリジナルの基準で結婚を考えようというメッセージを提示したともいえるのでは?女性でも自分で稼ぎ、男性に地位を求めず、優しい誠実な人と結婚する、そういう時代を先取りしている感がありました。

でも有能な家政婦(家政夫)と仕事人間が結婚するのが効率いいっていうのは古いかもしれないね。

③やはりみんな家事には困っているんだなと思えた

女性だから家事ができるとは限らないし、仕事ができる人が家事もできるとは限らない。家事をこなすって、何か特別な能力なのではいでしょうか?

多分、現代の思想に反しているから、みんな苦手になってしまうんじゃないかな。だって家事っていうのは、ある程度手をかけて、それを喜ばれるから、意味があるものでしょう?

今はものすごい宣伝費をかけて昨日より家事の手を抜きましょう!という家電とか、サービスがどんどん誘惑してくる時代。

親の時代の家事の極意がどんどん古くなって受け継がれない。だから、みんな困ってしまう。

どうせ汚すのになんで掃除?一瞬で食べ終わるのに、なんで何時間もかけて食事を用意する?洗ったそばからまた食器洗い……なんで?

掃除はロボットでよくない?紙皿に買って来た総菜でよくない?てか食事はサプリでよくない?となっていくよね…効率重視なメッセージと日々の家事をやっている人の労力は全然かみ合わないんですよね。

でも、一方で家事には喜びもある。それを知っている人は実は魅力的なんじゃないかな。そんな気がしてくるドラマです。